rococoro

rocoのこころのうちのお話。

愛ある寝かしつけ8*育児できない環境が整っている……

ある意味で準備はっている。

それは“育児に向いていない環境”。

 

今の子育てをしている年代~というところに焦点を合わせていくとしよう。

 私もずっぽり当てはまっているので、私の年代の話になるが

 

ある意味乱世だと思う。

多方面に興味の出る思春期に、携帯電話が普及し始めた。

(……の、前にポケベルもあったが)

最初のメールは、本体に付いている高さ2センチ×横3サンチ程の白黒画面に

カタカナでちょっとした要件を『イマカエル』や、『コレカラ、シュッパツシマス』とか

ひと言を送ることができたくらいだったが

その2~3年後には、カラー画面、液晶付き、カメラ付き……

 

今はガラパゴスなん付けられてしまっているが、破竹の勢いであった。

 

進化は進化で受け入れられるし、興味が先だって

次々に訳も分からない位の競争で、様々なプラン、割引が出来たりした。

私たちはいいように表せば柔軟だ。

 

しかし『便利』というのはろしい。

人々の感覚を麻痺させる。

 

高度成長期の日本と同じ。なりふり構わず、顧客のニーズに合わせて儲けていく。

 

 

私が高校生の時から恐れていたのがこの”出会い系” ”チェーンメール”……

 

『感覚・道徳の麻痺』ってやつだ。

 

曽祖父母は戦争を経験して、裕福になって

祖父母は、バブルで貯蓄がすごいもんだ。

 

この人たちは「イイヨイイヨ」と常套句を持ち合わせる魔物のような存在な気がしてならない。

 

さしあたって、私の祖父母とは同居でもないし

ドのつくケチだった為

甘やかされることはほとんどなかったのだが……

 

なんでもOK妖怪は、裕福を分け与えてくれた。

 

しかし、OK妖怪と私たちの間……親の世代。

今60歳ほどになる人間は、バブル崩壊を味わい

社会のストレスを痛いほど味わい、そのストレスの発散と新しいビジネスは……

あちらのほうへ向かったのではないかな。

 

『道徳の崩壊』

 

私の友人はおやじ狩りとまではいかないが、羽振りの良いおやじをキープしていた。

高校生せやれヴィト〇だ、フェン〇ィだ。。。

 

無知で、甘やかされた思春期の子供と、実直に生きていたが途中でネジが抜けた大人が

お互いの利益を求め始めたのだ。

 

ここで問題なのは大人の理知と、子供の無知というところ。

私利私欲の理知で満たされる欲望。

無知が為に創られた命。

無知が為に諦めた命。

 

勿論上の話は一例に過ぎない。

けれど私は思うんです。

高度成長をしなければいけなかったのは、私たち親の世代の教育に対する考えなのではないかなって。

 

他の動物が自然と学んでいる育児を、人間が出来ないなんて。。。

違う。

この国の人間は育児を学ばされていないんだ

 

 

 

愛ある寝かしつけ7*私たちの親は寝かしつけをしていたのか??

疑問が浮上。私たちの親の世代は寝かしつけをしていたのか?? 

よく聞いていた話、母は常々

「私はね、ふーちゃん(兄)を横でユラユラしながら塾の先生やってたものよ」

 

中学生時分は、その言葉を間に受けて感心したものだ。

しかし、今になるとわかる。

そんなの嘘だ。まるっきり嘘。なんて虚言壁のある母であろう。

 

10数年前まで〇〇のおばさん~なんて歌われていた塾で、採点の手伝いをする人間を雇うことなく

ひとりで難なくこなしていた風を出す。

 

憶測だが、17時~20時までは拘束されていたであろう。

この時間は風呂に入れて、授乳、寝かしつけをするはずだ。

 

そんな時間に、片身おもりで勉強なぞ教えられるわけがない。

 

その頃は、私から見た曽祖父が同居していた。

 

結論、数えられる位のエピソードを、武勇伝として掲げているのだ。

 

それに気づいてしまったとき、胃に大量な不純物を抱えたのは言うまでもない。

 

これは、氷山の一角だ。

過去の虚言もフィルムが降り注ぎ、雨あられとなって表れた感覚だ。

 

あぁ、母はそういう女だったのか。

 

腑に落ちた瞬間だった。

 

後に、この結論を母にぶつけることになるのは、第二子が生まれて間もないころ……。

 

 

この里帰りでったものは、よほどのことがない限り頼ってはいけないということ。

最低限の衣食住は望めるかもしれないが、、、あれもやってもらおう、これもやってもらえるかな?なんて希望は持たないほうが良かった。

 

だから、落差があまりに激しかったのかもしれない。

 

そんな私の母だ。寝かしつけのアドバイスは皆無。

ユラユラトントンって寝かしたものよ~という言葉を幾度となく口にしていたが

それはもはや、今の育児環境ではありえない。

 

おんぶ紐でね~……あなたは何もしなくもよく寝る子でね~

 

聞きたいのはそういうことではないのだ。

 

私の。今ここにいる私に似合った赤ちゃんの寝かし方であって、過去の私や兄の寝かし方ではないのだ。

 

いち君と似ているタイプの赤ちゃんでという話なら理解できるのだけれど

哺乳したらすぐに寝てしまって、5時間は起きない赤ちゃんの話をされたところで

あなたは本当に塾の先生ですか?国語出来ますか?と詰め寄りたくなる。

 

さて、親の性質はさておき

そういう時代だったのだ。

 

二世帯で住んでいる家族も多いだろうし、現在35歳以上の人間の祖父母は、ほぼ戦争を経験していて

おんぶ紐で寝かせながら畑作業をしたり

泣いていてもそのまま仕事をしていて、赤ちゃんは泣き疲れて寝たり……

 

そういう親に育てられた、我らが親どもは当たり前のように抱っこひもを使って寝かしつけをする。

……か、先輩である祖父母は、自分たちが余裕をもって向き合うことの出来なかった育児を、あの頃の感覚、方法で喜んで助けてくれるのだ。

 

礎というものは貴重である。が、育児にとっては新しいスタイルを率先して組み込んでいかないと

この時代と相反してしまい、心の余裕が出来なくなってしまって……

 

その末路に育児放棄が存在するのではないだろうか……。

愛ある寝かしつけ*ネントレ6*ギャン泣き赤ちゃんにミルクをのんでもらう

誰だってそうだ。大人だってそうだ。

しゃくりあげるほど泣いているときに、無理に飲み物なんて飲めないし

しゃべることが出来ないのを良いことに、哺乳瓶を突っ込まれても困るものだ。

 

ではどうするのが最善か……もちろん〖なだめる〗だ。

 

でも、どんなに「はーいミルク出来たからのんでね?おいしいよ~」なんて言ったところで……なんかママが言ってるけど……?位です。

 

ここでピントきた!

とりあえずでいいならこれをやろう!

 

……私の中の禁じ手の軽いスクワットだ!!!!!

 

「おあ~~!おあ~~~~!!!ぉぁ………ちゅっっちゅっ……ごくごく」

 

 

心の声『まじかーーーーー!!( ゚Д゚)』

 

たったひとつ、泣き止ませ方が分かっただけで

なんていう幸福感だろうか。

 

産後の体に鞭をうって挑んだスクワット。正直裂けた場所の痛みもあるけれど、それよりも泣きっぱなしにしているほうが何十倍も痛いのだ。

 

たらふく飲んでくれて、眠気と戦って2分後にはげっぷが出たが

無難に5分は縦抱きを続けて横にしてみた。

 

いち「ビク!!!!!うあ!うあーーーーーーー!!」

 

心の声『えーーーーーーーーーー!?』

 

無難に抱っこしてあげたのに……何故!?

 

この時、若干25歳。

 

背中スイッチなんて知らなかった。

 

何も知らない私は、このあと不のサイクルに突入する。

なんと、また最初からやり直したのだ。

 

オムツから。

 

オムツを替え、母乳を与え、ミルクはぬかしてげっぷをさせ……吐き戻されてしまった。

 

当たり前だ。

どれだけ多くを哺乳していたか、吐かれてやっとわかった。

でも、眠気が先に立って頭がうまく回らないんだ。

 

さて、もう母乳はあげつくしたので完全ミルクだ。

 

イチ君の服を着替えさせて(吐き戻しでびしょびしょ)、布団も剥いでそのままの状態で

とにかく、イチ君が眠るスペースが快適だったらそれでいいので

いろいろうっちゃってミルクに専念させてもらう。

 

ふと思う。こんなにバサバサしていて、孫がぎゃあぎゃあ泣いていたら助けに来ないか??

この安普請だし、ここの二間先に寝室がある。聞こえているだろうに。

 

だから、私はこの時

里帰りって意味があるのか?と思案した。

 

自分事は自分でこなすのは至極当たり前ではあるが、、、あぁ、うちの母は

心配になって少し様子を見に来る部類の人間ではないんだ……そう思う程度にしておきたかった。

 

 

 

 

 

 

 

愛ある寝かしつけ*ネントレ5*ミルクを飲んで

いくら里帰り出産といっても、殆ど楽なことはなかった。

55歳を過ぎた両親はまだまだ現役で仕事をこなしている。

 

母は自宅で塾を開いていて、うるさくしすぎると非常にまずかった。

父はバスの運転師で実家にいる時間はさほど多くはなかったのだ。

 

里帰りの意味。

 

本当に里帰りをしただけの意味しか持たないのかもしれない。

 

そんなもんで、親の協力はあまり求められないのだ。

夜手伝ってとヘルプを申請しても、苦虫だ。

 

なので、結局私の場合はそんなにメリットはない。

 

 

さて、夜一発目の授乳とミルクの続きだ。

程よい調乳は先に述べたもの。

 

でも今回必要なものは、授乳が済んだ後に足す分のミルク。

今は3月初め。

 

寒い。非常に寒い。

部屋の中も寒い。

暖房を入れても寒いものは寒い。

 

授乳は左右各5分は吸わせるので、合計簡単に10分後に調度良い温度になる調乳をしたい。

そうすれば、乳首を離してしまって大泣きされる……を回避できるのだ。

 

私の実家は、かなり古い断熱材なんてない80年以上前の物。

それもあって、冷めるのが非常に早い。

 

その理由で、手で握って熱いかも……と感じるくらいの温度にすることにした。

 

「さて、しっかり飲んで頂戴ね~

あわよくば、母乳だけでお腹いっぱいになって欲しいな」

 

本音を新生児に話しかけてみた。

こうやって、無理にも眠気を飛ばす努力をしないと今にも白目をむきそうな私。。。

 

授乳クッションをウエストにセットして、左右順に吸わせた。

 

 

ここでのコツは、必ず授乳クッションの様な高さの出るものを使用すること。

……でないと、肩こりが恐ろしく出るし

ラグビー抱きなるものができるんだ。

 

いろんな角度から吸ってもらわないと、簡単に乳腺が詰まって高熱を出す乳腺炎になってしまうからね。

 

さて、寄り道は終わり。

ミルクだ。

いよいよ飲んでもらおうか。

 

最後のおっぱいを口から離させると…………

ギャン泣き

 

「おあ~~~~~~~!!!!!(;O;)」

 

ミルク挿入。

 

「おあ~~~~~~~~~~!!!!!」

 

泣きすぎて飲んでくれない。

 

……私は眠すぎたし

母達を起こしてはいけない、近所に迷惑をかけられない

だから、おっぱいをいちの口に戻してしまった。

 

 この悪循環から、本当の地獄の寝かしつけが始まった。

 

 

愛ある寝かしつけ*ネントレ4*初めての里帰り

産後の入院生活は、ほとんど育児への不安に変わった。

安息はない。

今だから言える事がある。

第一子が、私の第二子のにゃんちゃんだったら
不安がつのる事も無かった。

(新生児のにゃんちゃんは、簡単に寝過ぎで、寝過ぎてしまって困り果てた位……)



まぁ、現実、向かい合っているのはこの第一子。

7歳になった第一子のイチくんが隣で寝ているが、
コイツは睡魔が凄い。
睡魔と言うだけあって、悪魔的睡眠の大波が押し寄せる。

7歳現在だから、勝手に寝てくれるが(ただし安眠グッズからは離れられない)
あの
新生児のもっと凄い睡魔を、泣き声と、身体全体で表現されていたんだからひとたまりもない。


                    • -

イチくんは、退院初夜も夜中中泣いている。
泣く泣く泣く。

これだけ泣いて、何で寝ないの?!
「はいはい」と、身を起こしながらも
自分の中の、重たくのしかかる何かと必死に向き合う。


枕元には、暖色のスタンドライトに
ミルクを作るための水筒2つ。

溶かす用と、それを冷ます用。

固形のミルク

ゲップでの吐き戻し用のタオル

着替え一式

オムツ、お尻拭き

これを一括りに籠に入れてある。



やる気、準備、心構えは持ち合わせている。
さて、汗はかいていない様だから、先ずはオムツ交換だ。


しっかりギャザー立ててから、今しているオムツの下に滑り込ませて
交換するオムツのテープを剥がす。

男の子だから、用心。

お尻拭きを一枚、ちんちんに被せておいて
他の場所を拭いてあげる。

拭き終わったら、ちんちんを下に下げて手早く封印。

背中に当たるオムツが寄れていないか、お腹のテープが痛くないか。

太腿とお尻のギャザーがしっかり立っているかを確認して
オムツ交換は終わりといったところだろう。


この所要時間はものの2分ほどだろうか。


このあと、ミルクを作るのだが
もちろん赤ちゃんは待ってはくれない。


いち君の泣き声は、里帰り先の親を起こしかねないので
抱っこしながらミルクを作らないといけない。

これが至極骨を折るんだ。

小さな暖色ライトを頼りに、お湯のメモリを見る。


カササギ菌を死滅させる為に
まずは70度以上のお湯で溶かす必要がある。


なんて……私は知らなかったけど
単に溶けやすさから80~75度のお湯を水筒に用意して

湯冷ましをもう片方の水筒に入れて用意をした。


まず、滅菌した哺乳瓶にキューブのミルクを入れる。
そこから、溶かす用のお湯を入れて哺乳瓶の下のほうだけクルクル回す。
溶けたことを確認してから、湯冷ましを加えて適温にする。

これが私のやり方だ。


しっかり溶かすことを怠ったり、出来上がりの温度がちょうど良くないと飲まない事がある。

ちゃんと溶けなかったら美味しくない。
熱すぎたら飲みにくいし、ぬるかったら美味しくない。


とにかくおいしいミルクを作ってあげないといけない。。。

しかし、睡魔がおいしいミルクを作らせてくれない。


手元が狂って、水を多く入れてしまったりするんだ。

でもまぁ、私はとてもアバウト。飲ませてみよう。

愛ある寝かしつけ*ネントレ3*泣かれるのが怖い

入院中、泣かれるのが怖い

 

個室でも、壁が鉄骨でも、泣かれるのが怖い。

 

仮に実際泣いているのは1分だとしよう。

 

隣の部屋でその泣き声を聞いている人はそのまま1分泣いているな……と感じるかもしれないが

 

新米ママにとっての1分の泣き声は、心の中がてんやわんやで、私にはその5倍は長く感じ、静謐(せいひつ)の中でこれは起こる。

 

そこで思うんだ。

 

 

「私は育児が下手なんじゃ無いか?」

 

 

長い呵責が始まる。

 

稼働しているのはエアコンと、たまに通る助産師で

シューズは忙しそうに闊歩している。

 

「泣きやまない位で、ナースコールを押していいんだろうか!?」

 

「言ったところで、相手にしてもらえないんじゃ無いだろうか。」

 

「私はまだ、試していない事があるのでは?」

 

「そもそも、この子は泣き止まない子で、ずっと抱っこしていないといけないのでは

??」

 

「おっぱいが足りて無いんじゃないか??」

 

こうやって、御託を並べてているうちにとりあえず泣き止む方法を施工するのだ。

 

 

の間違いはここから始まった。

 

さて、刮目せよ、コレがタブーだ。

 

泣き止まないからおっぱいをあげる。

 

これこそ大きな履き違えだ。

 

 

実際、何でこの子はこんなに泣くの?なんてなかなか聞けない人がほとんど。

 

でも今の私は思うんだ。

 

入院中に納得のいく説明をしつこく学習すること。

 

そうでなかったら、コレは、産婦人科で入院している意味が問われると思う。

 

単に母体を休める、赤ちゃんの様子を見るための入院なんだろうか??

 

本当に必要なものは、赤ちゃんを育てるにあたっての正しい教育ではないんだろうか??

 

沐浴は本を読んだってわかる。実際私は、何の手本もなしに上出来なもんだった。

 

ミルクのあげ方?本で充分だ。

 

そればかりに重きを置いていないか??綺麗にしてあげて、栄養をあげる。

 

大事なことだと。

 

でも、私は思うんだ。ここに欠けているのは

 

「赤ちゃんとママの心の落ち着かせ方」

 

思い返すと、イチ君がなぜあんなに泣いていて、私も慌てていたか

 

……答えはいとも簡単だ。

 

私は産婦人科に素直に頼る事が出来なくて

イチ君は素直にママを信じて、安心して寝られなかった。

 

それだけなんだ。

 

生まれたばかりなんだもん。

哺乳は少しの練習で上手に飲む事を覚えさせる事が出来たのに、睡眠の練習を怠ったんだ。

 

これがほとんどの人の盲点なんでは無いだろうか??

 

 

 

 

 

 

愛ある寝かしつけ*ネントレ2*

 

で寝ないんだろう。

 

オムツを替え、おっぱいをあげて、足らない分のミルクをあげ、ゲップもさせた。

これ以上何が欲しいんだろうか??

 

なぜこの子は、満身創痍の母親に休みをくれないんだろうか?

私の頭は自身の睡眠のことだらけだ。

この鼻に付くリネンの消毒臭さが、愛おしい……

 

 

出産は21時、その後約1時間分娩台で安静に過ごした。

後陣痛も順調で、回復は良好。

疲れ果てた産後妊婦へのジュースのサービスも、ここで受けた。

 

もうこの分娩台を下りたら、“妊婦”もいよいよ終わりだ。

 

分娩室から個室に移り、興奮冷め上がらない。

初めての出産を経験したのだ。陣痛の瞬間から、今の今までの記憶を痛いくらい鮮明に脳裏に焼き付けるので必死。

 

「よくやった自分。よくやった赤ちゃん。」と

 

私の頭の中で、自分はもう20回は出産した。

一睡も眠れずだ……。

胸が熱く、自分への賛辞でいっぱいで

早くむくみが取れた赤ちゃんの顔を見たいなんて期待と、既にお祝い返しはどうしようかなんて。

 

そうこうして、あっという間に朝を迎えてあっという間に隣に赤ちゃんが運ばれてきたんだ。

 

今に至り正直キョトンとしてる。

 

最低限の化粧を済ませ、授乳口付きパジャマで赤ちゃんのイチ君と向き合う。

この赤ちゃんが入っているのは、ベビーコットというらしい。

簡単な作りなのによく出来ている。台をずらすと勾配が出来て、吐き戻しに良さそう……なんて物色する。

 

運ばれてきたイチ君はうっすら起き始めている。

そこで、ママの笑顔をして、ことさら優しく狭い頬を人差し指の背で撫でてみる。

 

まだ弾力も無い、ほやほやした肌にほころんだ。……のも束の間

イチ君は自己主張を始めた

 

新米ママにはこの主張は、歓びだ。

「早く抱っこしたかった〜」

初めて、抱っこしたのがこの瞬間。朝の8時。

 

肌着がズレているけど、上手い直し方が分からない。だって相手が脆すぎる。

いいや、と半ば諦めとりあえず自分の気の済むまで抱っこさせてもらった。

 

泣き止むではないか。それに、いち君はウトウト……

もうそろそろ朝ごはんも来ることだし、眠いならベビーコットで寝てね……と、安易に移してみた。

 

「ふぅっっうんぎゃ!うんぎゃ!うんぎゃ!!!」

 

もう真っ赤。真っ赤というより、紫がかるくらいの赤信号。

 

ここでお腹トントンを試してみる私。

……でも……

 

“どの程度の強さで、どのスピードで、どれ位トントンすればいいの!? ”

 まずそう思ったが

すぐさま、オムツとおっぱいへシフトチェンジした。

 

「泣かれるのが怖かったんだ。」